08 January 2019

ガボンでクーデター未遂

Bonjour :-)

こんにちは、村川真一です。

2019年1月7日未明、ガボンの首都リーブルビルでクーデターと思われる事件が発生しました。

具体的には、軍関係者により国営テレビ・ラジオ局が占拠され、彼らによる権力掌握が国内向け放送で発表されました。

しかし、その数時間後には特殊部隊が国営テレビ・ラジオ局に突入し、クーデターの首謀者らが逮捕・射殺され、発生当日の午後には政府広報官が「鎮圧した」との公式発表を行いました。

その発表を受け、8日時点の首都リーブルビルは、若干の緊張感は残っているものの落ち着きを取り戻しています。



■ 当日の様子

私は現場となった国営テレビ・ラジオ局から2km圏内にあるマンションで暮らしているのですが、特殊部隊の突入によるものと思われる銃声や現場周辺に集まった群衆に向けて催涙弾を発射する音が朝7時前後から朝10時くらいまで続きました。

仕事始めで職場に急ぐ人やマンション前の屋台でサンドイッチを食べて出勤しようと集まった人らは「ヤベーよ、ヤベーよ」と言いながら慌ててその場を離れ、朝8時以降は普段は車や人で溢れかえる通りが不気味な静けさに包まれていました。

午前中いっぱいは、特殊部隊のヘリが国営テレビ・ラジオ局近辺の上空を超低空でホバリングしてるし、現場周辺で焼かれた車からと思われるゴム臭が漂っているしで、「事件は現場で起きているんだ!」という某ドラマのセリフが頭から離れませんでした。

そして、午後には政府広報官による「鎮圧した」との公式発表がラジオで流れたことで、少しずつ人通りが戻りました。とはいえ、やはり家に留まる人が多いせいか、人通りは圧倒的に少なかったです。



■ 情報収集と携帯電話網

インターネットは朝8時以降は繋がらないし、FRANCE24やCNN等の衛星放送が拾えるテレビは家に無いしで、もっぱらFMラジオ、全仏語圏で聞けるRFIで情報を収集しました。

毎時00分と30分に流れるニュースでは、ガボンのクーデターがトップニュースでした。発生当日の13時30分からは、情報も整理されてきたこともあり、30分間の特別番組が組まれ、在パリの識者らと在ガボンの特派員を国際電話で繋いだ番組が流れました。夕方以降は街が落ち着きを取り戻しつつあったこともあり、ニュースの優先順位は下がっていきました。


携帯電話網は、クーデターを首謀した軍関係者も携帯電話で連絡を取り合うからか、国際電話を含め通話がフツーにできました。

クーデターのときは関係者以外の連絡手段(固定電話網や携帯電話網)を断つ場合が多いと思っていたので、日本にフツーに国際発信できて驚きました。さらに、普段通りのクリアな音声だったので、さらに驚きました。



■ クーデターの趣旨

クーデター首謀者は「(サウジアラビア外遊中に脳卒中で倒れてモロッコで療養中の)大統領の容態があまりに悪過ぎる。(2018年12月31日に行った)ビデオ演説を見る限り、あの人がガボンを率いていくことに大きな不安を抱く」という内容の声明放送を当日未明に行いました。

確かに、大統領自身はそのビデオ演説の中で「私はすぐに完治してガボンに戻ります」と言っているのですが、発音の怪しさや視線の虚ろさから「大丈夫?」と不安視する人も多いことは事実です。

最高権力者である大統領が病気療養中ということもあり、ガボン国内では2ヶ月以上も政治的な空白が続いていて、「それはダメじゃない?政権を変えたほうが良いでしょ」という趣旨でクーデターを起こしたのでしょう。

クーデター首謀者の後ろで糸を引く人がいるとかいないとかは私には分かりませんが、ガボンで暮らす人に聞いてみたところ、首謀者の趣旨は一定の理解を得られているように思われました。



■ クーデター失敗の原因

私は2012年に青年海外協力隊で西アフリカ・マリに派遣される予定だったのですが、出発数日前にマリの首都バマコでクーデターが発生し、3ヶ月間の日本待機と派遣国変更を経て、西アフリカ・ブルキナファソに派遣されました。

その待機期間中に「クーデターの起こし方」を自分なりにまとめた結果、
1) 権力者の拘束
2) テレビ・ラジオ・電話・インターネット等の通信手段、空港・港・国境等の移動手段を掌握
3) テレビ・ラジオ等を通して国内外に権力掌握を周知する
って流れでクーデターは進んでいくと。

軍事専門家でも何でもない「政治的に不安定な仏語圏サブサハラ・アフリカに暮らすフツーの人」って視点で今回のクーデターの失敗の原因を考えると、賛同者が少なかったのが大きいかなと思います。

国営テレビ・国営ラジオ・インターネットは掌握出来てたのだろうけど、携帯電話はもちろん、FMラジオも止まってませんし、飛行機は飛んでましたし、船も行き来してました。
ここから想像するに、政府要人も拘束できてなかったんだろうなーと。警察のトップとか憲兵隊のトップとか各大臣とか、多分拘束できてないんじゃなかろうかと。

今朝の新聞では十数名が関与してたと書かれてましたが、それだけの人数だと一箇所を掌握するだけで精一杯なのかなと思いました。


ではなぜ賛同者が少なかったのか?というと、ガボンの人口の少なさと父子に渡る長期政権が原因かなと。

ガボンの人口は200万人ちょっとしかいません。
そして、現大統領の父親オマール・ボンゴが大統領になったのが1967年。そこから50年以上、ボンゴ一族でガボンを統治してきました。

そうすると、ガボンの要職に居る人は何かしらの血縁関係でみんな繋がってるわけで、クーデターに賛同する人は出てこないよなーと。

軍のトップも何かしら大統領と血縁関係で繋がってるだろうから、クーデターの実行もしくは後方支援はまずしないだろうと。そして、軍のサポートが無かったらクーデターの成功確率は限りなくゼロだよなーと思うわけです。



□最後に

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

平穏を取り戻しつつあるリーブルビルで、フツーの日常生活を送れる喜びを、ビールを飲みながら噛み締めております。

日本にいるとあまり意識しませんが、世界情勢は常に不安定です。
今日までずっと情勢が安定していたとしても明日も安定しているという保証はどこにもありません。

「次の瞬間には情勢が不安定になるかもしれない」
そう胸に刻んで、ガボンで生活していこうと思います。

ではでは。

Au revoir :-)